人が多い場所ほど、なぜか誰も動かなくなる。
その現象に、私は昔からうっすらとした違和感を持っていた。
理屈としては理解できるのに、どうしても好きになれない。
そんな気持ちを、今日は少しだけ言葉にしてみる。
「傍観者効果」に感じる、私の違和感
昔、学校で習った心理学。
その中のとある心理効果が、当初から好かない。
心理効果に好きも嫌いもないとか、野暮なこと言わないでね?
「傍観者効果」ってやつなんだけど、みなさんご存知ですか。
その場に大勢いると、一人一人の責任感が減少する。
例えば、誰かが道に倒れていても 「周りの人が助けるだろう」と皆が考えて、
結果として誰も動かない、という現象だ
(わかりやすくするために、少し極端に書いたけれど)。
理屈はわかる。
でも、なんか好きじゃないんだよね。
名前がつくことで、少し正当化される感じがするのが嫌なんだと思う。
「私があのとき動かなかったのは、この心理効果のせいか…」
みたいに納得する材料に使うのも、なんか違うでしょ、と思う。
子どもの頃に覚えた恐怖
私がこの心理効果を初めて認識したのは、授業で習うずっと前。
テレビで見た、ある番組だった。
まだ幼かった私は、そんなこと本当に起こるのかと少しゾッとした
(まあテレビなので盛っている可能性もあるけれど)。
もし自分が、助けられる側だったらどうだろう。
周りに人がいるのに、誰にも立ち止まってもらえない。
助けが必要でも、誰も気づかない。
それは、普通に怖すぎる。
そのときから、私はこの心理効果が苦手だったんだと思う。
点と点がつながった瞬間
授業で習ったとき、
「ああ、これのことか」とやっと点と点がつながった。
私が持ったイメージは、
その場にいる人たちの間で責任がたらい回しされている感じ。
それも、無意識のうちに。
たらい回しではなくて、せめてバケツリレーであれよ、と思う。
一人に全部背負わせるんじゃなくて、
少しずつでもいいから、みんなに手渡していく形ならいいのかな?
なんて考えてみる。
何も一人が全部やる必要はない。
声をかけるだけで十分なケースもあるだろう。
その一言に救われる人は、想像以上にたくさんいるはずだ。
考えるより動く、でいい。
「しったことか」で動くということ
誰か一人が動けば、それは周りに伝播する。
でも、一人目が動かなければ、そのまま「傍観者効果」で終わる。
「そういう心理効果だから、仕方がない」 そう言いたくなる気持ちもわかる。
理屈としては正しいのだろう。
でも、この現象は、現実では普通に覆ることもある。
誰かが動けば、その場の空気はちゃんと変わるのだ。
そういうところも、また人間らしい。
もし今後、「これは傍観者効果だな」と思う場面に出会ったら、
そのときは心の中でこう思ってみてほしい。
「しったことか」
そう思って一歩動けたなら、
少しだけかっこいい。
傍観者効果も、その瞬間はちょっと居場所をなくすかもしれない。
まあ、やる人はやるし、やらない人はやらないものだ。
やらない選択も、また賢さなのかもしれない。
とはいえ、一歩踏み出すのも悪くない。
愚者だとしても、そっちの方が、少しかっこいい。
そんな気がする。


