“苦手”だと思っていた文章が、私の“居場所”になった話

考えたこと

遠回りばかりの選択

今までの選択は、困難の連続だった。

いきなり重たい話で申し訳ないけれど、本当にそう言いたくなる人生を歩んできた。

私が最初に選んだルートAは、キラキラした道かと思ったら、突如ボロボロの橋が現れる。
その時点では「まあ、別の道があるよね」と気楽に考えていた。

次のルートBは、途中までは素敵なのに急に底なし沼が出現する。
自分の得意分野に飛び込んでいるはずなのに、なぜか毎回超えられない壁にぶつかる。

途方に暮れていると、後ろから肩を「ポン」と叩かれた気がした。
振り返ってみると、そこには前までは見もしなかった“ルートC”があった。

「考えたことのない道だけど、今なら進めるかも…」

そう思い、私は“書くこと”に挑戦すると決めた。


私は作文が苦手だった

私は、作文で褒められたことが一度もない。

小学生の頃、夏休みの宿題である読書感想文を嫌々やっていた記憶が、昨日のことのように残っている(さすがに少し盛ったが)。

なぜ苦手なのかって?
理由はとてもシンプルだ。

頭に浮かぶことの、“どこまで”を“どの順番”で書いたら良いかが、わからないのである。

社会人になってからも、“書くこと”=“仕事に支障がないレベルなら良いもの”と認識していた。
そりゃあ、書く技術を向上しようなどと思わなかったのも無理はないだろう。

複数の仕事を経験して、働くこと・働けないことの辛さを知った今、ひとつ気づいたことがある。

それは、
“自分が苦手だと思っていた分野は、存外可能性を秘めている”ということだ。

なぜそのような考えに至ったのか。
今回は、私の体験をもとにその理由をお話ししたい。


さまざまなことを模索する

ハンドメイドで悩んだ日々

家でできる仕事をしたいと思い、ハンドメイド作家をしていた時期があった。

背中を丸め、腕に力を入れる作業を約5時間連続でする日もあり、非常に身体が凝り固まっていた。

ある日の朝、いつもより強い肩の痛みに違和感を覚えたが、過去の経験から「そのうち治るだろう」と気にし過ぎないようにした。

数か月がたち、今度は背中の痺れが出現する始末だ。

「デザインと販売方法について、あんなにたくさん考えたのに…」

悔しさが押し寄せる。
それと同時に、「もう続けられないな」と現実を悟ったのだった。


書くことを試してみた

今度は、首肩を痛めずに長期間続けられそうなものを探し始めた。
そこで候補にあがったのが“書くこと”だった。

自分の思考を文章として書き出してみると、「意外と楽しい」と感じたからだ。

「自分の文章が誰かの役に立つかも」

そう考えると、胸が少し高鳴った。

“書くこと(ブログ)”は自分の思考が誰かのためになり、体調にも合わせられる。
まさに理想的な仕事だと感じた。


体調と向き合いながら

ブログを始めようと思い、まずは文章の基礎力向上のための勉強を計画した。

しかし、それまでのストレスのせいで体が思うように動かず、計画通りに進まない。

焦りもあったが、途中でぽっきり折れないように次のことを大切にして過ごした。

・何もできない日は、「今は無理をしても仕方がない」と割り切り、精いっぱい休むこと
・SNSや動画を見るだけの日は“他人の考えを学んでいる”と捉えること
・勉強中は少しでも体が辛いと思ったら休憩し、首肩のための補助グッズを使うこと


文章力を磨く工夫

文章術の本を図書館で一度に4冊ほど借りることがあった。

しかし体調のムラにより、読み始められたころには返却期限になることが多く、毎回焦ってしまう。

そこで私は、焦らなくても良い方法を考えた。

返却期限の迫った本は一度ザーッと読み、手元に置いておきたい本は中古で購入するようにしたのだ。

この方法の良いところは、気力が戻った時にいつでも読めるということ。

このように環境を整えたことで、自分の心身の調子に合わせられるようになった。


メッセージ

体調にムラがある方でも、自分の状態を理解して付き合えば、案外生きやすくなるかもしれない。

私自身、現在進行形で自分の心身と向き合っている最中だ。
試すことのすべてが上手くいくわけではないが、無理のない範囲で挑戦している。

このブログでは、繊細な私が自分の体験談をもとに考えたこと、日々を過ごして感じたこと、試してみて良かったことをベースに色々と書いていく予定だ。

同じように悩んだり遠回りしたりしている方が、「こんな生き方もあるんだ」と少しでも気楽に思える場所になったら嬉しい。

記事の中には「クスッ」と笑える部分もあるかと思うので、面白ければ笑ってやってほしい。

~マイペースに頑張りますので、ぜひまた遊びに来てくださいね~

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