職場で良くしてくれるのは、なぜかいつもおっさんだった。
別に狙ってはいないし、好き嫌いの話でもない。
(いや……知らずのうちに、おっさん好きになっていたのか?)
気づいたら、談笑する相手はおっさんばかり……。
これは、「人間関係がどうのこうの」という話とは、たぶん違う。
「生き方の癖」の話なのだと思う。
自分なりの「人との距離感」
私は昔から、人のことをあまり評価しないところがある。
この人は、ここが良いとか悪いとか……。
そう思うよりも、
「ああ、この人はこういう人なんだな」
と納得してしまう感じ……。
(もちろん、苦手な人は話が別ですよ?)
たぶん私は、そのまま相手を受け入れる方が楽なタイプなのだ。
癖も含めて、その人だと思っている。
その距離感を心地いいと思ってくれる人もいれば、
無論、どこか温度が合わない人もいる。
目の前の人を見つめる
新社会人の頃、仲良くしてくれる人は、同期以外だと本当におっさんばかり。
というか……上司が多かった。
医療職だったこともあり、少し変わったおっさん患者さんにもよく可愛がられた。
(中には、あだ名で呼んでくれる人もいた)
今思えば、相手を枠にはめずに接していたせいかもしれない。
「上司だから」
「患者さんだから」
「年上だから」
そういう肩書きよりも、目の前のその人を見ていた。
だから、年齢を気にせず自然と話せた。
その結果、気づけば仲の良いおっさんが、一人、また一人と増えていった。
その名も「不死鳥」
上司と仲が良かったのなら、順風満帆な社会人生活だったのでは?
なんて思われるかもしれない。
安心してほしい。
結構……いや、かなり大変だった。
コロナ禍や職場でのストレスが重なり、心身ともに疲れて休職したのだ。
もともとストレスを感じやすい質だったことも、大きかったと思う。
そこから始まったのは、望んでもいない長い休み。
今思い返しても、毎日毎日、時間だけは山ほどあった。
「もう、いらないよ」と思うほどに……。
働けていた頃は、あんなに休みを渇望していたのにね。
やることが終わっても、また時間がある。
そんな日々は……正直、かなり味気なかった。
それから数か月後……。
私はなんとか、職場へ復帰することができた。
仲の良かったおっさん上司は、私が戻ってきたことに驚いていた。
「まるで不死鳥だね」
と言われたような、言われていないような。
あの頃は復帰したてで大変だったが、その言葉だけは妙に印象に残っている。
(ということは、言われたんだろうね)
「無事に復帰できたし、これからまた頑張ろう」
そう思っていたはずなのに……。
しばらくして、私はその仕事を辞めることにした。
理由はいろいろある。
でも、一番大きかったのはこれだった。
「ある日から、仕事が楽しくなくなってしまった」
休職中に気持ちが変わったのか。
もともと合っていなかったのか。
今でも、ちゃんとわかっていない……。
ただ、そのときになって初めて知った。
どうやら私は、「やりがい」を見いだせないことを続けるのが苦手らしい。
型にはめずに書いた文章
次の仕事選びでは、自分に問いかけた。
「あんたは、何なら楽しいんだい?」
……本当に、いろいろ試した。
でも、なかなか見つからない。
悩んでいた、そんなある日。
動画から流れてきた言葉が耳に残った。
「みんな一度は、ブログをやってみたらいいよ」
最初は、
「私にはムリだよ。 作文苦手だし……」
そう思っていた。
でも、何度か耳にするうちに、
「“みんな”の中に、私は含まれるのかな?」
そんなことを思い始めていた。
ものは試しだ。
誰かの役に立つことは考えず、まずは頭の中にあるものを書き出してみよう。
そう思って書き始めた。
すると、不思議なことが起きた。
苦手だったはずの文章なのに……。
「なんだか楽しい」
上手いかどうかは別として、
頭の中にあるものが言葉になっていく時間は、不思議なくらい心地よかったのだ。
そこで、私は長年、自分自身を誤解していたと気づく。
実際は、「文章を書くこと」が苦手だったわけでも、嫌いだったわけでもない。
型どおりに書かなければ。
正解を書かなければ。
そう思い込んでいた。
それが、苦しかったのだ。
(……たぶん、ね)
人には枠をつくらないのに、自分には枠をつくっていた
振り返ってみると、昔からそういうところがあった。
決められた枠に自分を合わせようとすると、どこか苦しくなる。
それなのに、仕事選びでは、自分を無理やり枠にはめようとしていた。
医療職も。
その後に挑戦したことも。
「向いていそう」
「安定している」
そんな基準ばかり見ていたのかもしれない。
私にとって一番大切だったはずの「自分の性質に合っているか」は、いつも後回しになっていた。
そんなこんなで……
今は文章を書いている。
病気をしてから、身体との付き合いには相変わらず悩んでいる。
「楽しい仕事」と「身体に合う仕事」が一致しているかは、まだわからない。
それでも、だ。
文章を書いていると、「時間が溶ける」。
あのころ感じていた「早く今日が終わらないかな」とは、まるで違う。
少しずつ。
ほんの一ミクロンずつかもしれない。
それでも、人生が動いている気がする。
……不死鳥と言われた(気がする)私。
本当に復活できたのだろうか。
出てきた場所が灰の中だったのか、それすらまだわからない。
でも、まあ、だからこそ面白い。
そう思いながら、今日も進んでみたいと思う。

