「考えすぎだと思うよ?」

人とのあいだで

言葉そのものに、傷ついたわけじゃない。

たぶん、悪意もなかったのだと思う。

それでも、なぜか引っかかり続けている言葉がある。

時間が経った今でも、ときどき思い出す。

私にとっては、それが「日常」

発端は、世代違いのある人とのやり取りでした。

昨年末に起きた出来事の大変さがまだ残っていて、警戒が解けていなかった頃。

(何があったかはさておき、当時はまだ警戒心が残っていた頃です)

正直、まだ整理も安心もできていない状態でした。

そんな中で、かかってきた一本の電話。

話したくもなかったけれど、その件について詳しく聞かれた。

そして返ってきた言葉。

なんだと思う?

「考えすぎだと思うよ?」

だってさ。

その瞬間、妙に引っかかった。

私は、良くも悪くも考えるタイプだと思う。

不安なことがあれば理由を探し、対策を考え、頭の中で何度も整理する。

その性質のおかげで救われてきたこともあれば、苦しくなったこともたくさんある。

だから、「考えすぎ」という言葉自体に反発があるわけではありません。

それが私にとっての「日常」だから。

ただ、今回は違ったのです。

まだ整理途中のことだった。

まだ警戒を解いていいのかも分からない段階だった。

そんな状態のものを、何も知らない相手に「一言でまとめられた」ような感覚を抱いたのです。

わかったかのように扱われること

もちろん、そのすべてを理解してほしいとは思わない。

世代も違うし、経験も違う。

同じように感じることなんて、無理だと思う。

それは、頭では分かっている。

でも、それとこれとは話が別。

わからないなら、わからないままでいい。

知らないなら、それでいい。

ただ、わからないまま一言で結論づけられるのは……。

どうしても受け入れられなかった。

「大変だったね」で終わるなら、それでよかった。

その先に、“評価”や“断定”はいらない。

私が頭と心を使って積み上げてきた時間は、そんな一言で整理できるほど、軽いものじゃないのよ?

別に、共感してほしいわけではない。

理解してほしいわけでもない。

ただ、わからないものを、わかったかのように扱われたくなかっただけなの……。

これでも、頑張って自分に言い聞かせたんですよ?

「仕方のないことだ」

「忘れた方が気が楽になる」

ですが……。

その違和感を、うまく飲み込めなかったんです。

だから、吐き出した。

わからないなら、わからないままで良い

そして今も思う。

「判断してあげる側」に立ってもらうことなんて、私は望んでいなかった。

年長者だからと言って、その立場にならなくていい場面は、きっとあるはずです。

わからなくていいの。

でも、お願いだから、わからないものとして扱ってほしい。

わかったようなセリフは……

言わないでほしい。

相手がどんな思いだったのかは、もちろんわからない。

だけど、「理解しようとしてくれた」と、私は感じられなかった。

どんどん距離が広がっていく。

それはきっと、こういう小さな積み重ねなのかもしれない。

今は、そう思っている。

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